創立者
高橋薫女史(1915〜1966)
群馬県北群馬郡榛東村生まれ。22歳の時、突然の高熱に襲われ急性肺結核を発病。闘病生活の中で心の拠り所となったキリスト教信仰の博愛精神のもと、回復後結核患者のためのアフターケアや知的障害者のための生活施設建設に奔走した。
社会福祉法人三愛荘は、昭和36年(1961)に高橋薫女史が、単身この地に知的障害者と共に生活を始めたことから始まりました。群馬県北群馬郡榛東村に生まれた高橋女史は若くして急性肺結核を発病。闘病生活の中で彼女の心の拠り所となったのはキリスト教の信仰でした。命を取り留めた高橋女史は兼ねてから夢に描いていた社会事業を志し、病弱な体で奔走し募金を集め、戦後まもない昭和27年、結核患者のための「群馬アフターケア協会設立準備委員会」を設立、31年には「財団法人群馬アフターケア協会」を設立しました。その後、知的障害者のための「社会福祉法人 愛護会」を経て、昭和36年7月には精神薄弱者援護施設 三愛荘が誕生しました。初代理事長は榛東村村長だった浅見一郎氏。三愛荘という法人名は、高橋女史の直接の指導者であった日本キリスト教団渋川教会牧師、栗原陽太郎氏(初代三愛荘荘長)が名付けました。敷地内の建物の名前も聖書からとられています。
美しい榛名山麓の地に生まれた愛。この広大無辺の愛である「三愛荘」の創業の精神は、現在まで着実に引き継がれています。